この記事は、春秋社の「ノマド――漂流する高齢労働者たち(著:ジェシカ・ブルーダー、訳:鈴木素子)」を読んだ感想です。
🚙 あらすじ
この作品は、ジャーナリストのジェシカ・ブルーダーが、季節ごとの仕事を求めてアメリカ中を旅する生活に陥ったアメリカの高齢労働者たちの取材を経て書かれた、ノンフィクション本である。「ノマドランド(Nomadland)」という題で、クロエ・ジャオ監督のもと映画化され、2020年に公開され、第77回ベネチア国際映画祭金獅子賞、第45回トロント国際映画祭観客賞を受賞している。
映画評論家の町山智浩さんの推薦図書で、帯には町山さんのコメントが添えられている。
【映画評論家:町山智浩氏(帯より)】
アメリカの荒野でキャンピングカーで旅する老人たちをよく見かけました。彼らは老後を楽しむリタイア組だと思っていたんですが、この本で「ワーキャンパー」が多いと知りました。夏はキャンプ場、冬はアマゾンの倉庫で働く、ワーク&キャンパー。この格差社会で老後の蓄えもなく、少ない年金では家賃も払えず、住む家を失った人々なんです。だが、彼らは自分たちはホームレスではなく、「所有」から開放された自由人だと言います。本当の幸せとは何か、深く考えさせられる一冊です。
🚙 感想
🏕 最後まで読んで!
私はこの作品を、「映画の原作だから面白そう」「勉強になりそう」といった軽い気持ちで読み始めた。
だから、物語の中盤で、「なんだか物足りない」という印象をもってしまった。
「この本は小説ではなく、アメリカのノマド達の『取材記録』だ」と感じたのだ。
しかし読了した今は、「この作品を“今”読むことができて良かった」と心から思っている。
ストーリー性を求めて、この本を読み始めた人の中には、途中で読むことをやめてしまった人がいるだろうか。
もしもその人へ、この私の読書体験が届くことがあれば、声を大にして「最後まで読んでください」と言いたい。
読者は、最後まで読んで初めて、“本書が書かれた理由”を考えるに至ると思う。
🏕 「ノマド」とは?
はじめに、本のタイトル「ノマド」は、“放浪の民”を意味する。“放浪の民”と聞いて、どんな人々を想像するだろう。
本書に登場する「ノマド」は、私の想像よりも遥かに明るく、ポジティブで、未来に希望を持つ、生き生きとした人々だった。
彼らはキャンピングカーでアメリカを横断し、季節に合わせて職と場所を変え、生活している。
清潔感もあり、傍からは“キャンピングカーを愛好するリタイア組”に見える。
一方で、彼らは、氷点下や炎天下、低賃金で残業代なし、などの過酷な労働環境の中で働いている。
しかも、彼らの多くが、高齢者だ。
世界的に有名な某企業では、繁忙期に「ノマド」を雇用し、10時間以上、広い倉庫内を、1日に30km以上も歩かせるという。
本書には、この某企業を中心とした「ノマド」の雇用形態について多くの記録があるが、読者がこれを批判したところで、「ノマド」という生き方に潜む問題点の、根本的な解決にはならないと思っている。
著者のジェシカ・ブルーダーは、「ノマド」という生き方の是非について、言及していない。
もしもどこかで、この本の読者に出会えたら、彼らの生き方に何を思うか話し合うのも、読後の楽しみのひとつなのかもしれない。
🏕 なぜ本書は日本語に訳されたのか?
“本書が日本語に翻訳された理由”を、本作に登場する「ノマド」の背景から考えてみる。
彼らの多くは、2008年の金融危機の影響を受けて、車上生活を選択した人々だ。
いわゆる“中間所得者層”で、教育費や不動産価格の高騰により、年金を失っても、補助を受けられる低所得者とは認められない人々だ。
かつては大手の企業で働いていたとか、重役に就いていたという人も多い。
ここで、少子高齢化が進む現在の日本では、年金を受け取ることも保証されず、数年前から医療費における財源の先細りが懸念されている。
さらに日本は、コロナによる経済打撃を受け、オリンピックによる赤字を抱えている。
本作の「ノマド」の背景と、日本の経済状況は驚くほど似ている。
私はこれが、“本書が日本語に翻訳された理由”であると考えている。
今の日本には、アメリカの「ノマド」の実態を“海の向こうの物語”として捉えられない現実がある。
アメリカのノマド達の“取材記録”は、そう遠くない日本の未来を示した“予言書”でもあるのかもしれない。
🏕 日本の「ノマド」
今や日本でも、「海外ノマド」や「フリーランスとノマド」といった図書が出版されている。
SNSでは、「ノマドワーカー」「ノマド生活」などのハッシュタグが見られる。
ポジティブで、自由な暮らしを求める人々の投稿も多く、すでに日本にも「ノマド」は存在しているのだとわかる。
しかし、私が知る限り、ニュースや新聞などのメディアで、「日本のノマド」が取り上げられたことはないし、“新しい生き方”として話題に上ったこともない。
自由な暮らしを求める「ノマド」の“新しい生き方”には、大変興味があるが、その背景に“経済的問題”が潜んでいるのなら、話は別である。
日本で「ノマド」に注目が集まることがあれば、そのときは「ノマド」の“生き方”ではなく、彼らが「ノマド」に“ならざるを得なかった背景”について考えたい。
日本において、“中間所得者層”が経済的打撃を受け、「ノマド」という生き方を選択せざるを得なくなっていることが、社会問題として取り上げられる頃、果たして日本国民の何人が「ノマド」という生き方を選択しているのだろうか。
問題は、中間所得者層の生活を支えることができない“経済活動そのもの”だ。
しかし私達は、それを直接的に解決することができないから、現在の経済状況に絶えず目を光らせなければならない。